誕生秘話

Suite in Style 誕生秘話_5

Suite in Style Story

Suite in style 誕生秘話




Suite in Style誕生


タイでの素晴らしいリネンとの出会い

時はめぐり1998年、私は約半年間タイのバンコクに偶然住むことになりました。 バンコクは日本人にとって非常に住みやすい街です。人々が仏教徒で穏やかなこと、食べ物が美味しいこと、 そして物価が日本の3分の1程度であることなどからリタイア後に住むお勧め都市No1にも選ばれているほどです。 そしてタイは日本よりはるかに貧富の差が激しいため、王侯貴族的生活をする人々の暮らしはとても豊かで洗練されています。

タイにはヨーロッパの文化も入ってきていて、お料理はもちろんインテリアにしてもタイ人にはそれを習い上手く自国に取り入れるセンスがあります。 ジムトンプソン氏など欧米人がタイの文化産業に上手く西欧的要素を取り入れている成功例も多々あり、素敵なインテリアのコーディネートも沢山見かけました。 そんななかタイでとても素敵なベッドリネンを展開しているショップに出会います。白を基調にしたベッドリネンにはモダンな刺繍やプリントが施され、 角度によって模様が浮かびあがるジャガード織などもとても洗練されていて、そのようなベッドルームをいくつもショップ内にトータルでコーディネートして見せていました。 サイズ展開もキングサイズまであり生地のクオリティーもとても高いのに金額はタイならではのリーズナブルさ。早速購入して再び驚きました。

衝撃的な滑らかさ

「軽くて滑らか」シーツ1枚でこれほどまでに翌朝の目覚めが変わるのかと驚くほどでした。 お店を再度訪問していろいろ聞いてみればなるほどの300スレットカウントという高品質のコットンサテンを使用。 デザインも豊富でいくつも欲しいものがあり、お揃いの刺繍入りタオルなども揃います。「日本にはこういうショップはないよね。。。」とまたしても思った瞬間でした。 もちろん欧米では存在するのですが値段帯がかなり違います。欧米的デザインと品質、それにタイのプライスがマッチングしてとっても素敵な出来栄えになっている。 当時子供が1人産まれたばかりで証券会社も休職しており、かなり暇だった私・・・。

「これって日本に持ってこれないのかな?」 タイでとてもお世話になっていたインド人の賢者がいました。ガンになって余命1年といわれてから すでに自然療法などで10年以上生き延びていた彼は、もともとは会社をいくつも経営していたビジネスマンでした。 すでに引退している彼の元には多くの人がビジネスや人生のアドバイスを求めに相談にきているような人生の賢者でした。 たまたま彼にこのベッドリネンを扱う会社のことを尋ねると、なんとそれは彼の親友のインド人が経営する会社の一つだということ。 インド人のタイでのイメージはアメリカでいうところのユダヤ人や華僑のイメージに近いものがあります。 その彼の親友というインド人もタイでなんと500社もの会社を多角的に経営する大富豪だとか。昔日本でのビジネスでひどい目にあったことがあるとかで 日本でのビジネスには興味がないと言っていたのですが、彼の紹介もあり担当者へ話をつなげてくれました。 早速橘田にも連絡をしてタイに来てもらい、実際にベッドリネンを見てもらいました。他にもタイのインテリア商品を いろいろ見てもらったのですがやはり気に入ったのはこのベッドリネンだけでした。 こうして日本の会社からもこの素晴らしい刺繍の技術とこちらのセンスがわかるクリエイターのいるベッドリネンのメーカーと工場に出会い 4種類のベッドリネンを製作してもらい輸入を開始しました。サイズは自分たちの使っているベッドのサイズに合わせてキングサイズを必ず入れる。 そして寝心地、デザイン、品質、値段すべてにまずは自分達のために本当に気に入ったものがただ欲しい、が原点のSuite in Styleが誕生したのでした。

こうして私たちのSuite in Styleは始まりました。これは物語の序章です。 そして今も続く物語です。この続きはまたの機会に・・・



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Suite in Style 誕生秘話_4

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Suite in Styleができた理由


なければ私達でつくればいいんじゃないの?

その後もずっとコーディネーターとその顧客という関係を越えて友人関係にあった橘田にはいろいろ相談もしました。 その時に必ず出る言葉は「でもないよね・・・日本にないものがありすぎる」でした。インテリアデコレーターとして インテリアにこだわりの強い顧客に常時接している橘田も強くそれを感じていました。 ソファーやテーブルはまだともかく家全体のコーディネートを考えるとき、最も日本で探すのが困難なもののひとつにベッドリネンがありました。


「ベッドリネンが日本にないなら作ればいいんじゃない?私達が困っているならみんなも困っているだろうから。」

今にして思えば恐ろしく単純で短絡的な発想からSuite in Styleは生まれることになります。 事実橘田自身はもちろん、橘田が日々接している彼女の顧客は多かれ少なかれ同じ不満を持っていました。 「売っていないのなら作ればいい」という意外に「単純な事実」は今回の作業を通じて私が学んだことのひとつでした。

自分達の欲しい物しか作らない会社

そしてもう一つのポイントはまず最初の最大の顧客は「自分達」だということです。 自分のために欲しいものを作る。反対に言えば「自分達が欲しいものしか作らない会社」 Suite in Styleの設立当初からのポリシーはこうして生まれました。



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Suite in Style 誕生秘話_3

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2つの出会いから学んだこと


この素敵な家には残念ながら2年程度しか住むことができなかったですが、まさに私の人生を変える経験となりました。 私が学んだこと・・・


1.時に「家」が「住み手」のライフスタイルを決める

素敵な家には住む人のそれまでのライフスタイルを完全に変えてしまうほどの威力があるということ。 時に上質の器が人を導き育てることもあるということです。ライフスタイルが変わるということは 今までの朝食や日曜日の意味やときに人生まで変わるということ。

2.適切な人に聞くこと

これはとっても大事。結局仕事でも人生でも「誰に聞くのが一番いいのか?」ということを最短で見極める鼻と勘が必要ということ。 インテリアに限らず人生には知らないことがたくだんあり、毎回広く深掘していては時間がいくらあっても足りない。私はインテリアなら橘田と 決めているから変なインテリア雑誌などを見る必要は一切なくなりました。初めから一流のものを見せて教えてもらえれば、こちらの努力次第で 早く上達できるし時間も短縮できる。これが通用しない分野があるのは後に知ることになるけれど、たいていのことはだいたいこれでいけると 思っています。

3.欲しいものを見つけること

実はこれはとても難しいこと。自分が何が欲しいのか知ることがとても大切。 言いかえれば自分の欲しいスタイルを見つけること。ぼんやりした「自分の欲しい物」にきちんと輪郭を与えることと、 1点1点バラバラに欲しい物を探すのではなく全体のスタイルをまず見定めていくということです。 ここでもキーワードは「スタイル」。

4.欲しいものは見つかるまでとことん探せ

次に大切なのは欲しい物以外は「絶対手に入れない」覚悟をすること。 欲しい物がわかったらそれをとことん探す。どこまでも探す。ただし気をつけなければいけないのは あくまでも探すのはジグソーパズルの1ピースということです。全体の絵の中で当てはまる場所とピースは それしかないというものを探すのです。1つ1つバラバラなものを探していては「スタイル」が完成されることはありませんから。

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Suite in Style 誕生秘話_2

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当時、橘田にイメージを伝えるため購入したインテリアの洋書
Suite in Styleのスタイルを築くベンチマークになった

その後を変える橘田との出会い


橘田のコーディネートを依頼

今でも橘田がそのマンションに初めて来た日のことを覚えています。 エドワード鈴木氏は橘田がアメリカでインテリアの勉強を終えて帰国したときに「日本でもこんな素敵な設計をする人がいるんだ」 と思い設計事務所に応募書類を出したことがあるというほど、彼女自身が大好きなテイストのマンションだったということもあり、 2人でその完成後の姿を想像し大興奮でした。 その後どういったテイストが好きなのか、どういう暮らし方をしているのか、といったミーティングを 何度ももちインテリアの方向性を決めていきました。 私にとってインテリアの出会いがこのエドワード鈴木氏の家であったこととそして橘田との出会いからスタートできたことは本当にラッキーなことでした。 この出会いと経験がその後の私のインテリアやライフスタイルの基盤となりました。 あれから色々な家に住み色々な家を国内外で見ましたが、今でもあのときの家が私の理想の家です。 大枠に非常に完成された家があり、そしてこの上ない先生にあたるプロのコーディネーターによって自分の好みをまず知ることから始まり、 そしてそれによって様々な的確な提案をしてもらい、そこからまた合わないものを変更していく作業。その作業を通じて色々なことがわかってきました。

欲しいものが欲しい



一つ一つ自分の好みがわかってくると、すぐに日本のインテリア事情にぶつかりました。実は私の欲しい物は日本にない場合も多いということ。探すには膨大な時間がかかるということ。 探してもないものがたくさんあるということ。そしてもともといったんツボにはまると妥協できない自分の性格。 しかしここでまた橋田からプロならではのアイデアが出されました。 「アメリカには”インテリアデザインセンター“という全ての家具がそろう場所があり、 そこにいけばクオリティーの高いインテリアショップが軒を連ね、今こうやって詰めていった私の欲しい、必要な家具が全ていっぺんに揃う」ということ。 「アメリカの家具」って?イタリアやその他ヨーロッパの家具というならばなんとなくイメージできるけれど アメリカのインテリアということにまったくイメージも湧かなかった当時の私。 しかし色々その取り扱い家具や値段、クオリティー、納品までの所要時間などを見ていると その提案が理にかなっていることがわかりました。そしてこれがとても面白い素敵なチャンスだということも。 そこで半年かけて全ての主だった家具やカーテンまでアメリカからコンテナで個人輸入することに決めました。 今ある家具で生活できないことはないわけですから半年ぐらいは待ってもまったく問題はないという状況もありましたし、 何よりこの家に相応しいインテリアでこの「作品」を完成させたいという思いもありました。


実際のプレゼンボード

橘田渡米



私の「自分の欲しいインテリア像」というものも何度かのミーティングにより大分クリアになり、 それをもとに橘田が雑誌やカタログなどで「出来上がりイメージのプレゼンボード」を作成し、 私達のお互いのイメージの確認がなされました。 そういった作業を通じて私自身、橘田のセンスと人柄に多大なる信頼を寄せるようになりました。そしていよいよ橘田が渡米。 ここからのステップはやや乱暴ではあるのですが橘田が単独で渡米しデザインセンターのソファー、ダイニングテーブル、コンソールテーブル、 カーテン、ベッドリネン、デスクその他くずカゴにいたるまでの、今まで雑誌や洋書からのイメージボードにすぎなかったデザインボードを 実際のショップをまわりながら本物の家具として落とし込む作業をしてくれました。 1週間ほどの渡米で全ての家具をピックアップするという荒業の後、私は橘田から日本で興奮のレポートを受け取ることになります。 そこに出された一覧には日本ではみつけられなかった私の「欲しいもの」が所狭しと並び、 ほぼイメージ通りの家具の選定でした。 その後「実際の家具の写真」を入れてプレゼンボードを作り直してもらい、最終的に購入する家具の決定作業に入りました。 いくつかの家具、たとえばリビングの1人掛けのチェアや書斎のデスクはイメージが少し合わず変更してもらったりしましたが、 ほとんどが初めに作られたプレゼンボードから私が思い描いていたイメージの家具が的確に選ばれていたのに感嘆したのを覚えています。 そしてそこで私が目にした家具達は今まで日本のメーカーで出てきたものとは比べ物にならない豊富なデザインに加え、 ソファーなどのサイズ感もまったく違っていました。 しかし家の大きさや座り心地を考えればとても理にかなっています。次から次へと家具が最終的に決まりいよいよコンテナでの個人輸入に。。

コンテナ輸入は大変・・・



最終的に輸入を決定した家具達は、一社だけのものではなく様々なメーカーの商品の組み合わせなので それをひとまとめにしてのコンテナでの輸入はまた大変な作業だったと思います。 待つこと半年。。いよいよ家具の納品です。脚が折れてしまっていたドリアデのサイドテーブル、色出しがちがったカーテンなど問題もありましたが、 しかしその実物をみて胸が高鳴りました。奇をてらっているわけではないのに、美しく凛とした家具達。 その色味や微妙な曲線とそれらの家具の組み合わせによって生まれる調和。この家という「作品」が自分というフィルターを通して 完成したことがわかった瞬間でもありました。 余談ですが、一緒に仕事をするようになり10年もすぎてから橘田に、このプロジェクトが当初の予想をはるかに超えた とんでもない作業量と労力でコーディネートフィーの計算をゼロの数1つか2つ間違えたと半ば真顔で言われました。



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スイートインスタイルは2002年7月に設立されました。
青井と橘田とその他2人のメンバーによって始まったプロジェクトです。
外資系証券会社に10年以上勤務していた青井と、
外国人などの個人邸を中心に女性誌でも活躍するインテリアコーディネータ橘田。
一見あまり接点のない私たちの出会いは1996年でした。


建築家エドワード鈴木氏のマンション(インテリア完成後)

建築家エドワード鈴木氏のマンションとの運命的出会い


ちょうどそのころ私は運命的な引越しをしたところでした。目黒区にあるそのマンションは建築家エドワード鈴木氏によって建てられたいわゆるデザイナーズマンションの走りでした。そのマンションはたった11戸だけの小型のものですが、すべて3F建てか2F建てのメゾネットタイプで間取りも各々違うというユニークなマンションでした。そしてそれぞれ戸建感覚で小さいながら庭とBBQセット、リビングにはダルマ型の真黒な暖炉があり、部屋の壁も棚もすべて真っ白なモダンで美しい部屋。日本の大手ディベロッパーの開発した四角い統一された箱型のマンションにしかなじみのなかった私にとっては衝撃的でした。 玄関を入り一目見た瞬間にこの部屋に魅せられてしまい、部屋を一巡したときにはもう引越しを決めていました。余談ですが数年前から偶然いろいろなお仕事でご一緒させていただくようになったエドワードさんにこのマンションがいかに衝撃的で素敵だったかを話すといつもとても盛り上がります。本当に出色の出来栄えのマンションでした。しかし3F建で200平米は超えるこの部屋をいったいどうやってしつらえたらいいものかとわたしは途方に暮れました。これまで持っていた茶系のややクラシックな家具はまったくこの家には合わない、そしてこれほど建物として完成している家にそれを打ち壊してしまう物は置けないと思いました。

それで私は、それまでさほど興味があったわけではないインテリア雑誌などを片端から読み始めました。しかし当時そういったテイストの家が日本に少なかったせいもあり、中々気に入ったテイストのものがみつからず難航していたのですが、ふと見たGRAZIAのインテリア特集で「これだ!」と思う家に出会いました。それは当時の橘田の自宅のインテリアで白を基調にしたモダンなインテリアにアジアンテイストがミックスされた温かみがあるものでした。


モダンというと住んでいる人の個性がまったく感じられないホテルのようなインテリアコーディネートが多い中、そのコーディネートはとても新鮮でまさに捜し求めていたものに出会えた瞬間でした。すぐに雑誌社に電話をして連絡先を聞き、橘田に連絡をとりコーディネートの依頼をしました。

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